ありし日のはじめ


by hajimac

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今年の目標、とりあえず続いています。あと11ヶ月!(笑)

やっとシリーズ更新、忘れていたわけでは決して無いのですが、時間が取れなかったのと語りにくい話題だったことで一年以上経ってしまいました。

 妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、
 ご自身がそのからだの救い主であられるように、
 夫は妻のかしらであるからです。
 教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。

 エペソ人への手紙5章22節から24節まで

夫には自己犠牲をもって妻を愛することが求められていますが

妻には夫に従うことが求められています。

この箇所が語りにくい理由に、まずそもそも夫と妻に求められていることが違うことが問題となるようです。

聖書は確かに男女平等、神の前に受ける特権に違いはありません。(ガラテヤ3:28)

ですが、男と女、すべてなにもかも同じなのかと言えば、そうではないようです。

男性と女性には求められることが違います。

すべて同じでなければ平等になれないという考え方では、男女のどんな違いも男女平等を損なうという結論が導かれますが

聖書は神が男と女に別々の役割を与え、しかし男も女も同等に神の前に価値あるものである、と教えます。

男女になにかしらの違いがある、という意見は現在は全く流行りませんが...

 夫の役割は妻を自分のからだとして愛すること。

 妻の役割は夫を自分のかしらとして信頼すること。

どちらも相手の欠点だけを見ていてはとても行う気になれない。

でも自分の役割を理解してそれを全うしようとするなら

自身をささげるように妻を愛するような夫なら信頼することもしやすいでしょうし

自身をゆだねるように夫に信頼するような妻なら愛することもしやすいでしょう。

聖書はそのような結婚観を教えています。

P.S.「夫が妻のかしらである」とは?「教会がキリストに従うように」とは?「すべてのことにおいて、夫に従う」とは?細かなところ、英語ですがこちらのページで語っています。
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by hajimac | 2009-02-12 05:02 | エッセイ